13人目の怒れる男

主に本や映画の感想など。語る人がいないのでブログに書いています。

今際の国のアリス ドラマ版 〜ある意味で現代日本らしい生死観の表れ

考察でググってもあらすじや薄っぺらい感想しかないクソ記事ばかりだし、Twitterも他人の考察の垂れ流しの多いことよ。いつからネットはこんなになっちまったんだい。さすがにTwitterでネタバレは憚れるのでここで書きたい。

【以下ネタバレあり】

ゲームに勝ったから生きて帰ることができたという見方もできるが個人的には逆で、死ぬ間際から生還するまでの一瞬の出来事を空想世界のゲームのサバイバルに見立たのではないかと思う。ゲームで生き残るのは運の要素も大きかったように、現実でも誰が生きて誰が死ぬかは運ではないか。なぜ自分が生きてあの人が死んでしまったのか、そこにどんな意味があるのかなんて誰にも分からない。だからこそカルベの言う通り、生き残った人間が死んだ人たちの分まで全力で生きなければならない。それこそが生きる人間の使命。生きる意味や目的はどうでもいいからあなたと生きたい、たまにケンカもしたい、確かウサギもそんなことを言っていたはず。生きる意味とかよく分かんないけど人生を受け入れて楽しもう、宗教観の薄い現代日本人らしいけど説教を押し付けられるよりよっぽど良いよね。

思えばカズリューも救うべき命を選べないと苦悩していたが、あれは神や運命といったもの(があればだけど)の立場を代弁しているようにも思えてきた。ミラは生きる意味がきっと分かるからと言ったが、アリスはウサギなのか別の何かか分からないが、生きる希望を見出していくのだろう。

永住権を選ぶとどうなるのだろうか?残る=生還できないの方が理屈は通るが、個人的にはどちらを選んでも生き返るのではないかと思っていた。なぜなら先の通り生きるか死ぬかは自分で選べるものではなく、結果として与えられるものだから。

さてジョーカーは?個人的にはトランプなのにジョーカーの存在が一切触れられないことがずっと気になっていたので、あれゲームはまだ全て終わっていなかったのか?とか、ここはまだ現実世界ではないのか?(インセプション的な)とか色々疑ってしまった。たぶんあまり深い意味はないと思うが、アリスたちのゲームは終わったけど今際の国は今もどこかに存在して、これからもゲームが行われていくこと(今回のゲームはこれで終了と言っていた)を暗示していると考えるのがしっくりくる。

とにかく、作中にあったような1,000年後の未来のゲームとか他に解釈の余地のないオチになるよりは随分と良いまとめ方をしたのではないかと思う。本作は漫画が原作だが、今後もNetflixオリジナルならではの面白い日本作に出会えることを期待したい。

たった一人の熱狂

幻冬舎代表取締役の見城さんの刺さる言葉をまとめた一冊。

仕事へのモチベーションが上がる本としては過去最高かもしれない。圧倒的に努力し、上司ができないと言う仕事をやり、徹底的に考え抜く。

一方で豪快な人かと思いきや繊細な部分もある。日々反省・苦悩し、細かい点にも気を遣い、小さな約束も必ず守る。どんなに凄く見える人でもそういう部分があるのだと親近感を感じ、自分の方向性は間違っていないと再認識した。

思えばここ2年ほど思うように成果を残さずスランプに陥っているが、見城さんの言うように苦悩しながらもがくしかないのだと思う。

コロナが歴史に果たす役割とは何か(書評「ペスト大流行 ヨーロッパ中世の崩壊」)

以前に興味があって読んだのだが、ここ最近の新型コロナの流行もあり、今読んだら面白そうだと思い改めて読み返してみた。


人的被害の面では新型コロナの比ではなかった14世紀のペスト大流行(著者推計で全世界の死者7,500万人)は当時の世界をどう変えたのか?新型コロナは世界をどう変えうるのか?

その点で示唆に富む内容があったので、以下に引用してみる。


「多くの史家の指摘するとおり、黒死病そのものは、時代の担っていた趨勢のなかから、次代へ繋がるものをアンダーラインした上でそれを加速させ、その時代に取り残されるものに引導を渡すという働きをしたにせよ、次代を造り出す何ものかを積極的に生み出したわけではなかった。


たしかに黒死病は、流行病としては人類の歴史上、おそらく最悪のものの一つであった。しかし、その異常事態の上に映し出されたものは、良かれ悪しかれその時代そのものであって、その時代の要素が、いささか拡大されて見えるにとどまる。逆に見れば、あれほど未曾有の異常な時間も、歴史のなかに呑み込まれてしまえば、一つのエピソードにすぎないのである。」


つまり、コロナそれ自体も何か新しいものを生み出すわけではないが、次世代に繋がるものと淘汰されるものとの取捨選択を早め、次の時代への移行を促す役割を果たすかもしれない。

現に、国家レベルでは自国第一主義や反国際協調、社会経済的にはEコマースやテレワーク、各種手続きの電子化、オンラインでの娯楽サービスなどが、今後より促進されていくのではないかと考えられ始めている。

(一方で、人との触れ合いを求めることは人間である以上避けられず、対面でのコミュニケーション、特にその究極である性産業などは、よりその価値が認識されていくのではないかと個人的に思っている。)


取捨選択の結果が分かるのはもう少し先になるだろうが、一個人としては、時代の流れに取り残されないようにアンテナを張りながら、目の前の情報に踊らされず、日々できることを地道にやって信頼と実績を積み残していきたいと思うのみ。

人生で初めて広島へ行ってみた

昨日今日で初めて広島市へ一人で訪れた。書き残しておきたいことが多かったので、まとまりのない文書だが書き記したい。

 

【1. なぜ広島なのか

宮島へは一度行ったことがあるが広島市へはこれまでなかった。世界初にして最大の被爆都市である広島は、日本人としていずれ訪れなければいけない場所だと長い間強く惹かれる都市だった。同じように東日本大地震の被災地もこの目で見なくてはと思い立ち、昨年仙台と石巻を一人で訪れた旅は非常に満足できるものだったので、今年は広島への旅を実行することにした。

今回は3連休の2日間を利用して、1日目に原爆ドーム広島平和記念公園、資料館、広島城縮景園と大所を周り、2日目は広島東照宮へ出かけて昼には帰京する予定とした。

 

【2. 1日目〜東京から広島駅へ〜】

1日目に予定を詰め込んだので、午後いっぱいは動き回れように朝7時過ぎに品川発、11時過ぎに広島着の新幹線を予約していた。車中、睡眠不足で2時間くらい寝たがまだ10時半程だった。地図で見る通り広島までは遠い。ちょうど台風17号が接近していて、倉敷、福山と広島へ近づくにつれて天候も悪くなり、今日はやめておけばよかったか…と少し後悔したものの、今更どうしようもないので仕方ないと腹をくくる。

ようやく広島駅へ着くと、気温は20度半ばから後半と東京よりいくらか暖かく、車内は寒かったが半袖短パンは間違いではなかった。思っていたほどの雨風でもなく、傘がないと気になる程度の雨が降っていた。駅前は2棟のタワーマンションと幾つかのと商業施設がある程度で、札幌や仙台、福岡と比べると意外にも閑散としているように感じた。あとで分かったことだが、駅前よりも市内中心部に多くが集積しているらしい。

 

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広島駅前の様子。思いのほか天候は悪くない。

 

まずは空腹を満たすために駅近くの「電光石火」というお好み焼き屋へ向かう。知人に教えてもらったのだが、広島の代表的なお好み焼き屋として有名らしい。ビルは見つけたものの店名がないので戸惑ったが、どうやらワンフロアに様々なお好み焼き屋が出店してるらしい。

さっと観てまわると「電光石火」以外の店はポツポツと人がいるか全く客がいない状況なのに、電光石火はなんと1時間待ち。これほどの人気だったとは。並ぶのは嫌いだがせっかく来たので仕方なく並ぶ。他の店のスタッフはこの状況を見てどんな気持ちなんだろうか、そもそもお昼時にこの客入りで潰れないのだろうか。ビルの6階なのでふらっと人が立ち寄る場所でもない。余計なお世話だろうが心配になった。

待ちに待ったお好み焼きは美味しかったが、そばと卵とネギが主体で、想像していたお好み焼きとは違った。広島のお好み焼きはこうなのか?グルメはさっぱり興味がないので、後で気が向いてみたら調べてみることにする。

 

【3. 原爆ドーム

広島駅からバスで、この旅の一番の目的である原爆ドームへ向かう。近くで降りてGoogleマップをよく見ると、爆心地という表示があるのでそこへ向かってみる。近づいても普通のオフィスや住宅が立ち並ぶ通りなので、何もないのかと思いきや、クリニックと思わしき建物の横に、簡単な文章とともにここが爆心地であることを示す石碑があった。あの原爆の爆心地だというのに、控えめに佇み忘れ去られたかのような石碑を見て、こんなものかと少し悲しくなった。

原爆ドームはそこからすぐ近くにあった。この旅で一番見たかったものだ。崩壊しかけた当時からのままの姿は、生々しく、迫力があった。壊れかけたただの建物としては見ることができないほど多くの意味を持ち、見る者に語りかけていた。胸が詰まり、少し泣きそうになった。当時の広島で生きていた人がこの建物を見たら、どう感じるのだろうか。

 

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柵越しに見る原爆ドームには重みと迫力がある。

 

それにしても、爆心地からこれほど近いのにここまで原型をとどめているのは凄い。あとで資料館で分かったことだが、ほぼ真上から垂直に被爆したことが幸いしたらしい。よく見ると鉄骨造と思われる螺旋階段もぐにゃりと曲げられながらも残っている。原爆ドームは一部鉄骨造の煉瓦造らしいがその他のRC造の建物も一部残っていたようで、普段何気なく使っているRC造の頑丈さには感心した。

原爆ドームを一周する間にも、欧米系の旅行客の姿が目立った。体感だが全体の4割程度は外国人だったように思う。広島駅からここにくるまではあまり見かけなかったが、原爆ドーム平和記念公園に着くと途端に外国人が増えて国際色が増す。カップルや家族連れ、団体客など訪れる人は様々だ。中東かインドあたりと思われるアジア系の集団もいた。

 

【4. 平和記念公園と資料館】

川沿いを歩いて橋を渡り平和記念公園に入る。橋を渡ってすぐの場所に原爆ドームと同じく原爆を耐え抜いたレストハウスという建物があるらしいのだが、耐震・改修工事中のため残念ながら見ることができなかった。

原爆の子の像を横目に見つつ、通りをまっすぐ歩いて慰霊碑へ向かう。慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」といったような言葉が刻まれていたと思う。厳かな石碑とは対照的な口語調の簡潔な言葉だけに強く印象に残る。

よく見ると、石碑の間から原爆ドームが真っ直ぐ見えるようになっている。逆から歩いてきた訳だが、石碑と道とドームがすべて一直線に配置されているので、この公園を訪れる人は嫌でも原爆ドームへ導かれる作りになっている。よく考えられている。その後は資料館へ向かう。ここも来たかった場所の一つだ。建物は近代的で無機質な外観で、石碑やドームに配慮してそれ自体はあまり目立ってはいけないかのように建てられているように思えた。

この資料館はこの旅最大のハイライトだった。ほとんどの展示を読み込んでまわったが、2時間近くかかった。入館料200円を払いながら、もっと値上げしてもいいだろうなどと思っていたが、見終わった後なら尚更安いと感じる。

 

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無機質な外観の資料館だが、覚悟無しには入れない。

 

資料館の展示は、原爆の威力を体感することから始まる。巨大な球状のマップ上に当時の広島市街地がCCで再現されると、そこにリトルボーイが投下されて爆発し、市街地は一瞬にして無となる。残った少しばかりのRC造の建物や山々だけがマップ上に凹凸として残り、それがより一層原爆の破壊力を知らしめている。

次へ進むと、原爆投下前の広島を写した写真が少しだけ並ぶ。かつてあったはずの街並みの様子だ。一番最後には、小学校低学年くらいだろうか、制服を着て満面の笑みを浮かべた子供達の写真がある。普通ならいい写真なだけに、子供達の笑顔が余計に強烈に残る。

その次からは、原爆のもたらした種々の悲惨さを伝える展示が続く。当時の記憶をもとに描かれた絵や、実際に被爆した様々な物、被爆者一人一人のエピソード、生々しい写真などである。あまり感情移入して読むと泣きそうになり、実際に何度か涙が出そうになったが、なんとか堪えながら進んだ。途中から胸が詰まってつらくなり、思わず携帯を開いたことも何度かあった。資料館には多くの人で混み合っていたが、皆黙々と展示に見入っていて、誰一人として喋る人がいない光景は少し異様だった。過半数は日本人だったが、ここでも外国人の姿は多く、皆一様に展示に食い入っていた。

1時間近くかかったと思うが、ようやくここを抜けると原爆をめぐる世界的な政治の展開や、原爆の仕組み、放射線の危険性などを説明するコーナーになる。こう見ると、歴史的に石器から鉄器、戦車、馬車、鉄砲、戦艦、戦車、戦闘機と発展して、最終的には核兵器を手に入れることが現代国家にとって軍事上の最大の武器となっていることが改めてよく分かる。核の闇マーケットなるものがあったり、最近でもイランがウラン濃縮をしていたり、このあたりの核をめぐる動きはあまり知らないので一度調べてみたい。

またアメリカが原爆を使用した理由は様々な議論があるようだが、対日参戦を目論むソ連を牽制するためという理由は今のところ一番腑に落ちる。もし日本が一部でも共産圏に取り込まれていたら、果たしてその後の経済発展と今の日本があったかどうかは分からないし、結果的に西側に付けたこと自体は幸いだったと思う。勿論、日本人である以上原爆を正当化することは感情的にどうしてもできないし、その結果のために本当に必要な犠牲だったのかどうかも分からない。

最後に広島の歩みの展示があった。数字は間違っているかもしれないが、広島市の人口は原爆直前に49万人で、原爆によりその年だけでも14万人が亡くなっているから、外部から来ていたであろう人を除いても人口の2〜3割の人が亡くなったことになる。それに加えて街そのものがなくなってしまったので相当な打撃だったはずだが、こうして今日ここまで発展して日本でも有数の大都市として栄えているのは凄いことではないか。逆に言えば残りの7〜8割の人がいたからこそ、街はなくなっても広島はなくならなかったのだろう。

 

【5. 広島城

資料館を出ると雨が降っていて、バスで広島城へ向かう。広島城は人はまばらだったが、ここはより一層外国人の比率が高くて、過半数は超えていたと思う。皆一様に天守閣の前で写真を撮っていた。天守閣の中は2〜5層が展示コーナーで、最上階は展望台になっている。広島の成り立ちや支配者の変遷など興味深い展示が多かった。今日まで知らなかったが広島市街地は河口を造成してできた街で、意外にも新しく戦国時代のことらしい。

展望台に出ると思いのほか視点が高く、10階建くらいに相当するのではと感じた。遠くに幾つかのタワーマンションやシティホテルが見える以外には高層建物は少ない。川が多く、公園や緑もあちこちにある、そのせいか、大都市でありながらどこかのどかな雰囲気も残した街であるように感じた。

 

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展望台から南方面に広島市街を望む。外国人の姿が目立った。

 

その後は縮景園に寄る予定だったが、歩き疲れていたのと閉園まで時間がないこともあり、明日に回して一旦ホテルへ向かった。夕飯を食べに八丁掘あたりへ出向いたが、飲屋街かと思っていたら唐突にキャバクラがあったり、どこまでも歓楽街が広がっていて、違う意味でも広島の大きさを感じた。

 

【6. 2日目〜縮景園、広島東照宮〜】

心配をよそに台風は過ぎ去り気持ちの良い晴天だった。まずは初日に行けなかった縮景園へ。江戸初期の浅野氏の初代藩主により造園され、原爆で消失しながらも今に至るらしい。ちょうど少し前に訪れていた高松の栗林公園と比べるとスケールや迫力では劣るものの、好天も相まって、全くの素人ながら心休まる綺麗な庭園だったと思う。

所々外の建物の頭が見えてしまうので完全には庭園の世界観に浸れないのだが、隠れる気のさらさらない潔いタワーマンションがバックに映えていて、これはこれである意味趣があるなと気に入った。そういえば、浜離宮公園もバックに聳えるツインタワーや高層ビル群とのミスマッチな光景が好きだったなと思い出す。

 

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タワーマンションとのショットが美しく映える。

 

広島東照宮は、日光東照宮に倣って全国で建立された東照宮のうちの一つだと言う。立地のせいか人はほとんどおらず、特筆することもあまりないが、唐門に続く急傾斜の階段と参道、鳥居の構えは威圧感にも近い迫力があった。

 

【7. 人は何を求めて広島に来るのか】

以上で旅は終わりだが、この2日間を通じて一番印象に残ったのが、欧米系の旅行客が非常に多いことだ。東京で最も見かける中国人や韓国人はあまり見かけない。広島市の統計を見ると、2018年の広島市の観光客数は1,336万人、うち外国人は178万人(13%)となっている。国別の割合は2017年までしか分からないが、アメリカが15%、オーストラリアが10%、中国が9%と続く。地域別ではヨーロッパが27%、南北アメリカが20%、オセアニアが11%、これらを合わせると欧米系が約60%を占める(参照:平成30年広島市観光概況http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1530604625469/simple/zentaiban.pdf)。この数字は自分の体感にも合っている。

欧米系が多いと言う前に、アジア系が少ないと言うべきだろう。広島を除く中国地方の4県はアジア系の割合が圧倒的に多いのに、広島だけは4割にも満たない。明確な理由は分からないが、被爆都市であり軍事都市でもあった広島はどう頑張っても戦争とは切り離せないので、中韓を始め心理的な抵抗が強いのかもしれない。一方でアメリカやオーストラリアの割合の高さが目立つのは、いかにも日本っぽい宮島の人気もあるだろうし、広島の持つ特異な歴史に関心のある人が多い傾向にあるのかもしれない。

少なくとも言えるのは、原爆ドームにしても平和記念資料館にしても、世界に向けて開かれているし、実際に予想以上に多くの外国人が関心を持ってこの地を訪れているように思えた。広島の過酷な体験は日本人だけのものではなく、世界中の人々に共有されていたことが分かった。

日本では戦争を振り返るとき、テレビの特番でもそうだが、戦争の悲惨さや個々の体験談に焦点が当てられることが多いように思う。勿論それも大切だが、なぜ日本は戦争を始め、なぜ負け、どうすれば避けられたのかを考えることにこそ歴史を学ぶ最大の意義があると思っていて、そうしたミクロな視点での物語には正直なところあまり興味がなかった。しかし、それを差し置いても広島での体験はとても貴重で意義のあるものだったし、世界からの関心の高さも身をもって感じた。今回行けなかった場所もあるので、機会があれば今度は誰かと一緒に、また広島に行ってみたい。

ロリータ(1962年)

キューブリック作品がいくつか好きなのと、タイトルに惹かれて観てしまった。

結論から言うと、観なくてもよかった。ロリータを連れ回して抑圧しようとする主人公の行動は、もはやロリコンという単なる性的嗜好に収まらず、前時代的・中世的な匂いがして観ていて不快だった。そもそも性的嗜好以前に、人を騙したうえで傷つけ死に追いやったことに何の罪悪感も表現されていなかったことに戸惑った(本筋ではないのだろうが)。全体的に、ロリータに限らず人の扱いが軽くて、観ていて不快感と嫌悪感を覚える映画だった。

他のブログ記事を調べると、原作となった小説は実際の事件に基づいているとも言われているし、キューブリックは男の偏愛を茶化す意図があったとも言われている(いずれも確証はないので真意は分からない)。もしキューブリックにその意図があったとしたら、本作はある意味コメディ的な映画として観るべきで、自分が考えすぎているだけなのかもしれない。

評決のとき

<ネタバレあり>
復讐による殺人は許されるのか、司法制度はどう裁くのかというのが主題だか、安定や安全を捨てて自分の正義をどこまで貫けるのかというのもまたテーマである。現実では正義を貫ける人などいないので、だからこそ自分を貫く主人公に惹かれ、憧れてしまう。
それだけに、殺人犯なのに無罪判決という結末や、それに至る主人公による感情論の展開は腑に落ちなくて残念ではあるが、そこに至るまでの展開はかなりおもしろい映画だった。

大人の方が刺さるかもしれない、トイストーリー4

シリーズ4作目でそろそろ飽きてくる頃だが、テンポ良く短い時間で仕上げているのは好印象。

作中でキャラクターが自分の内なる声に従うシーンが度々出てくるが(決定的なのはラストシーン)、自分の幸せは自分で見つけるしかないんだよ、自分の本心に従えというメッセージ性を感じた。特にラストシーンは意外な決断だと思ったし、人生に迷っている大人の方が観ていて刺さる作品ではないかと思う。